ドクターの入れ歯体験
入れ歯の先生かおられると、さぞ名医だろうと思います」と便りをいただいた。当大学に限
らず歯科医をめざす学生の実習では、患者さんの気持ちを理解するために是非入れ歯体験をすると
よいとの声も多い。
 ここでは入れ歯の専門の研究と治療をしている佐藤先生の「入れ歯体験」を紹介する。佐藤先生の場合は、全部歯か揃っているので上顎に人れる口蓋床での体験記である。
 一日目
 口蓋床を入れると口が閉められない。閉めると吐き気がする。何回も静かに開け閉めすると、
少し慣れたがつばの呑み込みができない。出したり入れたり五〜六回練習した。
十分位して声を出してみると周囲の者に「甘えた声でおかしい」と言われる。
自分でも非常に発音しにくい。歯を押し出す感じもあり、
一日目は十分程度しか入れられなかった.

 二日目
 後縁を三ミリ削ると比較的楽に入れられるようになる。しかし十分も入れていると
突然、吐き気がしてくる。
入れておく練習をしていると、唾液の分泌が非常に多くなるのを感じる。
口蓋と義歯の間に溜るからチューチュー吸う。
医局で何回も入れておく練習をするが、仕事中はとても入れておけない。
唾液が出尽くして口の中が乾く。タバコを吸うには支障はなく、むしろタバコでも
吸わないと耐えられない。
三日目
三十分は入れておける様になる。
常に物が入っている異物感があって気が散りしゃべりにくい。
は、ひ、ふ、へ、ほ、さ、し、す、せ、そが難しい。
中でも特にひ、しはうまく言えない。今日は診療の間に入れていたが、しゃべりにくいので口数が減ってしまう。

昼食を食べてみたら、パンが義歯にはさまる。
それでも我慢して最後まで食べたが美味しくない。
ジュースも冷たさがわからず、味気ない食事であった。
家に入れたまま帰宅。
車の中ではしていたが、しゃべらないから邪魔にならない。気か散って集中できない感じはあるが
四十分の行程だとOK。だんだんと義歯の使い方のコツがわかってくる。
帰って妻に「しゃべるのがおかしいだろう。実はこういう物入れている」というと
「エー、汚いから早く洗って」と言われる。
 夕食はご飯粒がネチネチ付く。舌で取ろうとしたが取れない。最後までは食べきれず、
途中ではずすと裏側にベットリ食べ物が付いていて、「汚い」と思った。
夜寝る時、普段はダブルベッドで夫婦が寝て、子供はシングルベッドで寝ることにしている。
しかしその夜は、妻に「汚いからあっちで寝て」とシングルベッドに寝かされてしまった。
五日目
家に忘れてきた。入れるのがイヤになってきた。
六日目
止めた。義歯を入れるようなことのないように、せめてブリッジまでにとどめたいもの。
{ナースの目》
 ドクター佐藤は貴重な体験をして、患者さんの気持ちが良くわかったそうであるか、
入れ歯を入れるのはもうこりごりだそうだ。ニ週間後に今度は私が挑戦した。根性無し
の先生を越えられるか………
 ところが、二日間で入れた延べ時間が四t五分。できないものだ。私のできない理由
は、仕事や家事にまぎれて、入れるのを忘れてしまったからである。
  『やらなくては]と思いつつ、つい意識の中から消えてしまうのである。恥ずかしい
が、必然性のない私にとっては、もっとできないことだった。全くの根性無しなのであ
る。一生懸命型を取り、作ってくれた佐藤、岩谷先生に申し訳ない。「入れ歯にはなり
たくないし、なれなとと心底思った次第である。
四日目
三日目と同じような生活。何だかイライラして診療中はしなかった。
「入れないといけない」と言う必然性が無いから段々入れている時間が少なくなってきた。
みんなから「根性なし」と言われてしまった。
広島大学歯学部付属病院
歯科臨床看護婦

著者 迫田 綾子
100人の泣き笑い